達磨大師 少林寺

chikio24です。

みなさん達磨大師ってご存知ですか?

よく見る赤い、選挙なんかで使われるあのダルマさんの大元です。

ヒマなんでパソコンのデータを整理していたら、以前に少林寺拳法の宿題で提出した達磨さんのレポートが出て来たので、ちょっと載せてみます。

色々と縛りがあるので、若干小難しい話かもしれませんが、お時間ある方は読んでみてください。(あちき的考えも入っますが)

どうぞ。

菩提達磨大師

その昔、中国の嵩山少林寺で修業されていた、「天竺那羅之捔」(てんじくならのかく)あるいは「羅漢之拳」(らかんのけん)などと称されていた印度伝来の格技は、伝来の当初より単なる武技としてではなく、坐禅行に対する易筋行として、禅門の弟子達が阿羅漢果を得るための一種の「行」として、坐禅と共に修業されていたと考えられています。

この印度拳法「那羅之捔」は、仏法の守護神の行と考えられており、単なる健康法や武技としてではなく、禅門覚道の要諦として、また衆生済度の妙法として、重く用いられていたと考えられています。この古代印度に源を発し、仏教に採り入れられながら特殊な発達を遂げていた印度拳法が中国に伝えられたのは、今から約一五〇〇年程前。

印度からはるばる正統仏教を伝えるために中国へやって来た釈尊の法灯を継ぐ、菩提達磨によって、禅門の行として伝法されたものであるとされています。

そして「行」としての拳が少林寺に於いて、坐禅と共に行われるようになるやいなや、少林寺の僧達は坐禅よりもこの天竺那羅之捔と呼ばれていた羅漢の拳の方が面白く、効果も上がるので、いつとはなく少林寺には拳を主行とする独特な寺としての風格が伝承されるようになり、禅宗の総本山としてよりも武芸教習所として人々に知られるようになったのです。

この天竺那羅之捔なる印度拳法を、最初に中国に伝えたと云われる菩提達磨。その言葉に「無功徳」というものがあります。菩提達磨が中国に於いて、梁の武帝と対面したというのは有名な話ですが、その時梁の武帝が達磨に対して

「自分は沢山のお寺を建立したり、写経したり、また色んな法会などを行っているが、こういった事をした結果どうゆう功徳を得られるのだろうか」 

という問いかけに、達磨は一言こう言います。

「無功徳」。

そんなことをやっても何の功徳も無いと。その答えに驚いた武帝は 

「色んな事を一生懸命やっている自分に、功徳が無いとはどういうことか」 

と再び達磨に問いかけます。それに対し達磨は 

「あなたはそんな事ばかりやっているが、それは全て人天の小果であり、人間が天上界に生まれようとしてやった小さな結果にすぎない。そうゆう事が迷いの原因なのである。そんな事をして己の運が開けるとか、功徳があるなどと期待するのは間違いである。」

と言うのです。それを聞いた梁の武帝は大変おもしろくありません。さらに次の問いを発します。

「あなたは無功徳というけれども、では真実の功徳とは一体何なのか」と。

達磨はこう答えました。 

「真実の功徳とは、すぐれた浄智である。本当の宗教的な知性というものは円妙である。そしてその本体は空寂でなければならない。」

と言ったのです。

この場合の円は完全という意味で、妙は通常の知性を超えた空寂という意味です。無でないといけない、何も無いところがいいのだ。というのがその答えです。そしてもう一つ、

「こうゆう宗教的な絶対というものは、世事をもって求める事は出来ない。あなたがやっている事は世事にすぎないのだから、そんな事をいくらやっても、本当の真理に辿り着く事は出来ない。」

と付け加えています。

武帝は達磨の答えを喜びませんでした。達磨は縁が無かったと北魏に向かいました。しかし、後に後悔した武帝は、達磨を呼び戻そうとしましたが、もはやそれは叶いませんでした。

実はこの話は、実際の出来事ではないと言われています。菩提達磨は梁の武帝とは対面していないということです。にも関わらず、なぜこのような伝説が残っているのでしょうか。その原因は、崇仏天子とて名を残す梁の武帝にあったようです。

仏教におぼれた梁の武帝は、最終的には梁を滅ぼしてしまうわけですが、それほどまでに仏教にのめり込み、財を注ぎ込んだにも関わらず、それに対する達磨の答えは「無功徳」。

達磨と梁の武帝が対面していないということが真実ならば、実際の出来事と実在の人物を組み合わせてできた、所謂「戒め的なつくり話」なのではないかと推測できます。

菩提達磨は梁の武帝とは会っていないと云われていますが、実際に北魏の永寧寺には訪れています。その際、永寧寺の塔の金盤が太陽に輝き、その光が雲表を照らし、風を受けて鳴る金の鈴の響きが天にも届く様を見て、思わず讃文を唱えて、まことに神業だと感銘し、「南無」と唱えつつ幾日も合掌し続けたと云われています。

しかしある説では、永寧寺の様式を素晴らしいとしながらも、本当の仏教の生命とは関係無いとし、それきり永寧寺を離れたとも云われています。この後達磨は嵩山少林寺に籠り、面壁九年と云われる坐禅に入るわけです。

嵩山少林寺に於いて九年間、壁に向かって坐禅を続けたとされる菩提達磨ですが、これは達磨の壁観を誤解してできた伝説であると云う説もあります。

壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」という意味のようです。

面壁九年とは、実際に九年間坐禅を組んだと言う意味ではなく、ただひたすらに坐禅を続けているという事を意味している様です。

嵩山少林寺で坐禅を続けていた菩提達磨ですが、その噂はやがて広がり、人々は達磨大師を一目見ようと、嵩山少林寺を訪れる様になるのですが、人々が目にするのは、ただ黙って坐っているだけの達磨の姿。

何の教えを説いてくれるわけでもなく、ひたすら坐禅を組んでいるだけです。そこへ一人の僧侶がやって来て、達磨に弟子入りを申し出ますが達磨は無言のままです。僧侶は弟子入りを許されるまで、長い月日雪に埋れながら弟子入りを請いますが許されず、ついには自らの臂(ひじ)を切り落とし、弟子入りの願いが俗情や世知ではない事を示し、入門を許されたと伝えられています。

これが「雪中断臂」と呼ばれる行為で、この僧侶こそが後の「慧可(えか)として中国禅宗の二祖となる人物です。実際には元々臂が無かったため、この伝説は後からつくられたとも云われています。

菩提達磨の教えの中に「二入四行」と呼ばれるものがあります。二入とは「理入」と「行入」の二種類で、さらに行入は四つに分けられます。

「理入」とは、
〈教えによりて宗義を悟り、生きるものはすべて同一の真性を持つものでありながら煩悩によってそれが見えないだけであると信じることである。もし、妄念を捨て真実に帰り、壁の様な堅固な心を得て、自他、凡聖一つとなりて動かず、こうして心が言葉や教えに引きずられなければ、真実と一つになりて、迷いなく静寂の境地に入るのである。〉

行入(四行)とは、

一、 報怨行。

苦しみに出会っても過去や前世の自分の罪業の報いが発生しただけであるとして恨まないこと。

二、 随縁行。

世間的な意味での成功や失敗は、本来の自分には影響がないので、世間的なことにはこだわらず、感情に支配されないこと。

三、 無所求行。

物質的な欲を持つから苦しむのである。物質的な欲を持たず、執着心を捨てて生きること。

四、 称法行。

ありのままに生きること。すべての万物は「空」である。そのことを信じて無心になること。この四つによって真理に逢う事である。

としています。

この二入四行論、達磨に関する最も古い語録で、達磨伝説の原型であると共に達磨の思想を伝えていると言われています。しかし、達磨は自分で著書や伝記を残さなかったともされています。

では、この「二入四行」は一体誰の手によって作られたものなのでしょうか?

これは禅宗の二祖を継いだ慧可が達磨の教えを後にまとめたものとされている様です。

ここまで見てきても分かるように、菩提達磨についての記述は幾種類も存在します。達磨は諸々の国を回って足の及ばぬ所は無いとか、日本にやって来て聖徳太子に対面したとか、一五〇歳で遷化したとされていますが、その原因は達磨の高名を羨んだ者によって毒殺されたとも云われています。

そして達磨伝説の中で最も有名で、中国高僧伝にしばしば登場する話ですが、それは当時、北魏の使者として西域からの帰途中の宗雲(北魏の官人)が、パミール高原で達磨に出会ったというものです。

宗雲が「どこへ行かれるのか」と問いかけた所、達磨は「西へ行く」と答えたそうです。さらに達磨は「あなたの主君はすでにみまかっている」と宗雲に伝えたと云います。その時達磨は、草鞋 (わらじ)を片方だけ手にしていたそうです。

帰朝した宗雲は孝明帝(北魏の第九代皇帝)の崩御を知ると共に、達磨がすでに遷化していた事も知ります。孝荘帝(北魏の第十代皇帝)の命により達磨の墓が掘り起こされると、棺の中には草鞋が片方だけ残っていたと云います。 

この時達磨は一五〇歳であったと伝えられています。

五世紀後半。南天竺国の第三王子として生を受け、師「般若多羅」の教えを受けて中国に渡った後、中国禅宗の開祖になったと云われる達磨大師。燈史によれば釈尊より数えて二十八代目とされています。

この達磨大師の伝説が、一五〇〇年の時を経て今もなお語り継がれているという事に、私は深い関心を持ちます。

それは、この一五世紀の歴史の中には様々な事象があり、あらゆる人物が現れたに違いありません。仏教に於いても、それは例外ではなかったと思います。しかし、そうした事象や人物の出現に掻き消される事無く、今日までこの伝説が語り継がれているのは、菩提達磨という一人の人間を歴史が必要としたのではないかと、私は考えています。

人間というものは、多かれ少なかれ「欲」というものを持っています。それと同時に「競争心」というものも心の中に持ち合わせているものだと思います。

この「欲」と「競争心」がすべて良き方向にバランス良く働いている内は良いのですが、時として人間は、必要以上の「欲」を抱え、その結果歪んだ「競争心」で周りの人間を苦しめます。そして悲しい事にそうなる可能性は全ての人間にあるというのも事実でしょう。

我々人間はまずその事を理解し、そうならない為にどうすべきかを考える必要があると思います。

釈尊の法灯を継ぐこの達磨大師の「教え」は、古代から現代、或るいは未来の人間社会に於いて大きな意味を成すと同時に、人間にとって己をコントロールする為に、無くてはならない精神であると私は考えます。

この教えを我々は真摯に受け止め、この教えに出会えた事に感謝し、日々精進し、自他共楽の精神を持って自己確立の修業に励み、昨日よりも今日、今日よりも明日の世が良くなって行くように努力することが、ここに存在する我々人間に課せられた使命であり、目指す境地ではないでしょうか。

達磨伝説が語り継がれる本当の意味が、そこに在る様に思います。

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